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今年は、海外移住ということもあり、高校時代の先生方にけっこう年賀状を出した。投函が遅くなってしまったので(確か12月28日くらいに出した)、元旦には着かないことになってしまった。
そして迎えた元旦。喪中ハガキを出した去年を除き、毎年欠かさず年賀状をやり取りしている英語のM山先生から、届いていた(先生は、今は定年退職なさっていると思う)。ちなみにM山先生との(一風変わった)エピソードはけっこうある。テストの答案に達筆でメッセージが書いてあったのだが、あるとき、達筆すぎて読めなくて、担任のE後先生(数学担当)に読んでもらったことがある(そのメッセージは「才媛よ!」だった。才媛という日本語を私はそのとき初めて知った)。また、英語の定期テストでクラス最高点を取ったとき、新品のボールペンをくれた。しかもそれを渡すとき、一番前の席にいた私へ、壇上からホイッと投げて。このボールペンはたぶん高級ボールペンだと思う。見た目が高級。回すと黒と赤の2色が使える。実は今、手帳に挟んで毎日愛用している。
←これがその高級ペン
エピソードはまだある。あるとき、名作を読むことに凝っていて、仙台駅前にある本屋(今はなきアイ○書店)へ、ハーマン・メルヴィル著『白鯨』(岩波文庫、上・中・下巻)を買いに行った。上・中・下巻と3冊を買わなければならないというのは、岩波文庫とはいえ、高校時代のお小遣いでは結構大きい額で、私にしては決断だった。そのとき駅前でばったりM山先生に会い、メルヴィルの白鯨(上・中・下巻)を買いに行くところなんですと言ったところ、「それは是非読みなさい」ということで300円をくれた。300円というのはたぶんそのときお財布に入っていた小銭の全額だったのではと思う。
そういうわけでけっこうお世話になっていたので、M山先生には卒業後も年賀状を出すことにした。そしたら毎年必ず返事をくれるので、こちらも毎年書くようになっていた。
元旦に届いたM山先生の年賀状には、「進む先は決まりましたか?」と、一言、メッセージが書いてあった。私が今まで、“留学したい、海外に行きたい”とずっと言っていたので、M山先生はいつも気にかけてくれているのだ。今年私が書いた年賀状には全て「ワーキングホリデーでカナダに1年間行ってきます」という文と、必要に応じてホットメールのアドレスを書いている。なので必要な情報はそれで伝わるはずだし、元旦に届かないにしても数日中には届くだろうから、あぁ入れ違いになっちゃったな。と思っていた。
そしたら、昨日(4日)。M山先生から2枚目の年賀状が届いていた。
印刷は同じ図柄。メッセージが1枚目よりかなり多くて、昭和48年に60日間かけてアメリカ大陸横断(アンカレッジ-ニューヨーク-サンフランシスコ)をしたこと、昭和58年にイリノイオハイオ州立大学へ文部省(当時)派遣で研修に行ったこと、また、「現地ではたのしいことばかりではない。」「強い心でがんばってください」と書いてあった。なお、「イリノイ」の訂正線と「現地では・・・」の下線は原文通り。研修先の大学名を書き損じた理由は不明だが昭和58年と言えば私が3歳だから、24年前になる。だからかな。その辺がM山先生らしい気もする。アイオワ、イリノイ、オハイオあたりの米中北部はアメリカ人ですらよく間違えるというし。
私の少ない人生経験から言っても、同じ年に年賀状を2枚もらったのは初めてだ。そんなことも、M山先生らしいと言えば、らしい。普通ハガキでなくわざわざ年賀ハガキに書いてくださるあたりも。
なんだか、いろんな意味で心にしみたので、今日ここに記してみました。
「現地ではたのしいことばかりではない。」
もちろん昭和48年・58年に比べれば今は断然住みやすくなっているだろうけれど、やはりこの言葉は覚えておくべきだろうと思う。
出発前に、お返事書こう。
渡航後にエアメールでもいいかもしれない。