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ポイント・ロバーツ(Point Roberts)をご存じだろうか?
バンクーバーの南にちょっとだけ飛び出た半島の先。この先っぽにあるアメリカ合衆国の飛び地である。飛び地好きのマニアの皆さんが気になっちゃう、ミステリィなスポットである。
実際には、ここには何もない。ヒト(アメリカ国籍の)は住んでるけど、わざわざ大都市バンクーバーから出掛けて行って面白いようなものは何もない。
それでも例によって私と韓国人の友人は、マニアックかつ思い出に残る場所を求めて旅立った。
桜が咲き誇る、4月初旬のことだ。

これがポイント・ロバーツの位置(写真をクリックすると拡大)。
半島の先っちょの赤丸がそれ。
一応国境審査があるそうだ。
一応自治体のホームページもある。
Point Roberts Chamber of Commerce http://www.pointrobertschamber.com/
これを読むと、学校や郵便局や警察があるかどうかなど、自治体のサービスについて確認できる。地価が安くバンクーバー都市圏への通勤も便利なので、カナディアンがここに土地を取得することも多いとか。不動産関係を意識した案内も見受けられる。
ここには小学校低学年までの学校はあるが、それ以上の学年になると通学バスに乗って毎日4回、国境越えをしなければならない。一旦カナダ側に入って、それからシアトル方面に抜けるのだ。帰りも国境を越えて同じ道を戻ってくる。アメリカの国民はカナダの税金を払っていないから、カナダ側の公立学校には入れないんだそうだ。ポイントロバーツには一応大きなスーパーマーケットが一つと、郵便局、図書館はあるが、警察と言える警察はないらしい。日本人が作ったという大きなゴルフ場がある。そのため日本人も少し住んでいる。人口はそんなに多くない。大きな道路は四角形に4本通っているだけ。
なぜこんな飛び地ができてしまったのか?それは一説によると、アメリカとカナダで北緯49度線として国境を決める際、カナダ側が州都ビクトリア(当時のビクトリア砦、北緯49度線より南にある)をアメリカに渡さないのに必死で、その交渉をしているうちに、こんな端っこの名もない半島の先っぽのことなんて誰も気付かなかった。ふと見てみたら、あれ?となっていた。ということらしいが・・・・・・。なんか、何の由来を聞いても、アバウトなんだよね、北米って。
私はこのポイント・ロバーツのことを、ホームステイのマザーに聞いて知った。地図を見ながら、市内の地理の話をしていたときに、話題に出たものだ。すぐにマザーがインターネットで詳細情報を調べてくれ、いつか機会があったら行ってみようと思っていた。なにしろ私は国境越えが好きなので。
徒歩での国境越えは、2001年夏にアメリカ-メキシコ間を渡った以来だ。あのときはアメリカのサンディエゴから歩いて鉄製の回るゲートをくぐり、メキシコのティファナに入ったのだった。メキシコに入る際は、国境審査もパスポートチェックも何もなかった(アメリカに戻る際には普通にイミグレオフィスの中で入国審査があった)。周囲を海に囲まれている日本の国民にとっては、徒歩での国境越えはある意味ロマンに満ち溢れた行為だと思う。私だけか?
さて、何しろ遠出をするようになって間もない頃なので、リッチモンドの先のそのまた先にどうやって行ったものか。この頃はまだリッチモンドにすら行ったことがなかったのだ。確かダウンタウンを走っているBラインというバスが、「リッチモンドセンター行き」となっていたはずだ。それに乗ればとりあえずはリッチモンドまで行けるに違いない。Bラインにすらあまり乗ったことのなかった私たち。平安時代の京都の農民たちが、東北の先の北海道にいる蝦夷なんて想像もつかなかったのと同じだ。(そうか?)
Bラインの終点でウロウロし、さらに南に行くと思われるバスに乗り換える(今思えば、終点はリッチモンドセンターの先の何もない地点だったのに、よく短時間で乗り換えポイントを見つけられたなぁ)。バスの運転手さんたちはたいてい親切なので、地図を示して「ここに行きたい」と言うと、だいたいどのバスに乗れば良いのかを教えてくれる。終点まで乗って、「ラドナー・エクスチェンジ」というターミナルポイントで降りる。そこでやっと、国境まで行くバスを見つけ、発車まで30分ほど待って、乗り込む。近くに大きな国道99号線が通っているためか、ちょっと歩いたところに大きなマクドナルドがある。
国境まで行くバスが終点に着いたとき、運転手さんにポイント・ロバーツの方向を教えてもらい、歩き始める。てくてくてく。てくてくてく。家族連れや子供、お年寄りがゆったりしている大きな公園を横切る。方角が合っているか些か不安になったころ、国境越えのために並んでいる車の列を発見。
車なら並ばなければならないが、私たちは徒歩だったので、とりあえず国境審査の建物に入る。職員はみんな暇そうだ。こんなところは地元の人間しか通らないから、多分みんな顔パスなんだろう。それでも911以降、どこでも審査が厳しくなったというし、我々も一応パスポートの提示くらいは求められるのかな?
韓国人がアメリカに入国する際、パスポートの他に10年用で1万円くらいする白いビザを買わなければならないが、友人はそれを既に持っていた。日本人はビザ免除なので、パスポートと、入国時に3ヶ月有効の緑色の入国カードを800円くらいで買う。私はシアトルに行った際に買ったグリーンカードがまだ有効だったのでそれを見せようとした。しかし係官はグリーンカードの有効期限を確かめもせず、パスポートを開きもせず、私がグリーンカードを手にしているのを見ただけでOKを出してくれた。だからもちろん国境越えのスタンプはなし。韓国人の友人は写真を確かめられ、私よりは比較的厳重なチェックを受けていた。
とはいえ、この先には私有の船でも停泊させていない限りどこへも行けない。どん詰まりの行き詰まりだ。日用雑貨以外の物も売っちゃいない。泳いでアメリカ本土へ密入国することだってできやしない。警察署だって存在しない平和な村だ。従って、国境審査もかなり適当。

これがポイント・ロバーツの国境審査の建物。はためくアメリカンフラッグ。星条旗よ永遠なれ。

ちゃんと「USA」って書いてある。
こっからアメリカなんだなぁ。

ポイントロバーツには大した観光ポイントは存在しない。ということを示すためだけに撮影した看板1。ん?もしかしてこの看板は例の、日本人が建設したという『ゴルフリゾート』か?いや、マリーナリゾートとあるから、ヨットハーバーか何かの関係だろう。

看板2。ここには何もないけれど、そこはかとなくアメリカのかほりがするような。
ちょっとしたスナックや日用品を買えるショップはところどころにあった。もちろんアメリカドルを使う(シアトルのときに両替したお金の残り)。カナダドルも使えるらしいけど・・・。
一軒だけあるという大きなスーパーマーケットでもおやつ程度の買い物をした。アメリカの国旗がデカデカと描かれたいかにもという感じのビニールに入れてくれた。これ、記念に取っとこ。
ポイント・ロバーツには、人口に比べてガソリンスタンドの数が多い。カナダよりアメリカの方がガソリンが安いので、カナディアンがよく車で国境越えをしてガソリンを入れに来るらしい。なるほど、だから車だけあんなに列を作って並んでいたのか。なっとく。
スーパーマーケットのあるメインの通りをずっと真っ直ぐ進むと、ヨット・ハーバーに出た。しかし海岸線はまだ先のようだ。詳細な地図を持っていなかった私たちは歩き疲れたので、海まで出ないうちに引き返すことにした。道路は舗装になっているので、レンタサイクルなんかがあれば便利だっただろうなあ。
帰りはカナダ側の国境審査を受ける。行きとは違う建物に入る。なぜか審査官のお兄さんがイケメンで、我々のテンションも上がる。一応、一通りの質問は受ける。
審査官「きみたち、何しにいってきたの?どれくらい滞在してたの?お酒かタバコは買ってきた?」
我々「観光。半日。お菓子買いました。」
審査官「そう?んじゃー通ってOK」
みたいな感じである。
いいのか、そんな適当で。
しかし例によって、韓国人の友人は私より質問の量が多かった。なぜなんだろう?
帰りは、バンクーバー行きのバス1本でOKだった。後で知ったことだが、来るときもあんなに乗り換えする必要はなかったみたいだ。
ま、でも、探検ってことで。
なかなかできる体験じゃないよね。
バンクーバーの南にちょっとだけ飛び出た半島の先。この先っぽにあるアメリカ合衆国の飛び地である。飛び地好きのマニアの皆さんが気になっちゃう、ミステリィなスポットである。
実際には、ここには何もない。ヒト(アメリカ国籍の)は住んでるけど、わざわざ大都市バンクーバーから出掛けて行って面白いようなものは何もない。
それでも例によって私と韓国人の友人は、マニアックかつ思い出に残る場所を求めて旅立った。
桜が咲き誇る、4月初旬のことだ。
これがポイント・ロバーツの位置(写真をクリックすると拡大)。
半島の先っちょの赤丸がそれ。
一応国境審査があるそうだ。
一応自治体のホームページもある。
Point Roberts Chamber of Commerce http://www.pointrobertschamber.com/
これを読むと、学校や郵便局や警察があるかどうかなど、自治体のサービスについて確認できる。地価が安くバンクーバー都市圏への通勤も便利なので、カナディアンがここに土地を取得することも多いとか。不動産関係を意識した案内も見受けられる。
ここには小学校低学年までの学校はあるが、それ以上の学年になると通学バスに乗って毎日4回、国境越えをしなければならない。一旦カナダ側に入って、それからシアトル方面に抜けるのだ。帰りも国境を越えて同じ道を戻ってくる。アメリカの国民はカナダの税金を払っていないから、カナダ側の公立学校には入れないんだそうだ。ポイントロバーツには一応大きなスーパーマーケットが一つと、郵便局、図書館はあるが、警察と言える警察はないらしい。日本人が作ったという大きなゴルフ場がある。そのため日本人も少し住んでいる。人口はそんなに多くない。大きな道路は四角形に4本通っているだけ。
なぜこんな飛び地ができてしまったのか?それは一説によると、アメリカとカナダで北緯49度線として国境を決める際、カナダ側が州都ビクトリア(当時のビクトリア砦、北緯49度線より南にある)をアメリカに渡さないのに必死で、その交渉をしているうちに、こんな端っこの名もない半島の先っぽのことなんて誰も気付かなかった。ふと見てみたら、あれ?となっていた。ということらしいが・・・・・・。なんか、何の由来を聞いても、アバウトなんだよね、北米って。
私はこのポイント・ロバーツのことを、ホームステイのマザーに聞いて知った。地図を見ながら、市内の地理の話をしていたときに、話題に出たものだ。すぐにマザーがインターネットで詳細情報を調べてくれ、いつか機会があったら行ってみようと思っていた。なにしろ私は国境越えが好きなので。
徒歩での国境越えは、2001年夏にアメリカ-メキシコ間を渡った以来だ。あのときはアメリカのサンディエゴから歩いて鉄製の回るゲートをくぐり、メキシコのティファナに入ったのだった。メキシコに入る際は、国境審査もパスポートチェックも何もなかった(アメリカに戻る際には普通にイミグレオフィスの中で入国審査があった)。周囲を海に囲まれている日本の国民にとっては、徒歩での国境越えはある意味ロマンに満ち溢れた行為だと思う。私だけか?
さて、何しろ遠出をするようになって間もない頃なので、リッチモンドの先のそのまた先にどうやって行ったものか。この頃はまだリッチモンドにすら行ったことがなかったのだ。確かダウンタウンを走っているBラインというバスが、「リッチモンドセンター行き」となっていたはずだ。それに乗ればとりあえずはリッチモンドまで行けるに違いない。Bラインにすらあまり乗ったことのなかった私たち。平安時代の京都の農民たちが、東北の先の北海道にいる蝦夷なんて想像もつかなかったのと同じだ。(そうか?)
Bラインの終点でウロウロし、さらに南に行くと思われるバスに乗り換える(今思えば、終点はリッチモンドセンターの先の何もない地点だったのに、よく短時間で乗り換えポイントを見つけられたなぁ)。バスの運転手さんたちはたいてい親切なので、地図を示して「ここに行きたい」と言うと、だいたいどのバスに乗れば良いのかを教えてくれる。終点まで乗って、「ラドナー・エクスチェンジ」というターミナルポイントで降りる。そこでやっと、国境まで行くバスを見つけ、発車まで30分ほど待って、乗り込む。近くに大きな国道99号線が通っているためか、ちょっと歩いたところに大きなマクドナルドがある。
国境まで行くバスが終点に着いたとき、運転手さんにポイント・ロバーツの方向を教えてもらい、歩き始める。てくてくてく。てくてくてく。家族連れや子供、お年寄りがゆったりしている大きな公園を横切る。方角が合っているか些か不安になったころ、国境越えのために並んでいる車の列を発見。
車なら並ばなければならないが、私たちは徒歩だったので、とりあえず国境審査の建物に入る。職員はみんな暇そうだ。こんなところは地元の人間しか通らないから、多分みんな顔パスなんだろう。それでも911以降、どこでも審査が厳しくなったというし、我々も一応パスポートの提示くらいは求められるのかな?
韓国人がアメリカに入国する際、パスポートの他に10年用で1万円くらいする白いビザを買わなければならないが、友人はそれを既に持っていた。日本人はビザ免除なので、パスポートと、入国時に3ヶ月有効の緑色の入国カードを800円くらいで買う。私はシアトルに行った際に買ったグリーンカードがまだ有効だったのでそれを見せようとした。しかし係官はグリーンカードの有効期限を確かめもせず、パスポートを開きもせず、私がグリーンカードを手にしているのを見ただけでOKを出してくれた。だからもちろん国境越えのスタンプはなし。韓国人の友人は写真を確かめられ、私よりは比較的厳重なチェックを受けていた。
とはいえ、この先には私有の船でも停泊させていない限りどこへも行けない。どん詰まりの行き詰まりだ。日用雑貨以外の物も売っちゃいない。泳いでアメリカ本土へ密入国することだってできやしない。警察署だって存在しない平和な村だ。従って、国境審査もかなり適当。
これがポイント・ロバーツの国境審査の建物。はためくアメリカンフラッグ。星条旗よ永遠なれ。
ちゃんと「USA」って書いてある。
こっからアメリカなんだなぁ。
ポイントロバーツには大した観光ポイントは存在しない。ということを示すためだけに撮影した看板1。ん?もしかしてこの看板は例の、日本人が建設したという『ゴルフリゾート』か?いや、マリーナリゾートとあるから、ヨットハーバーか何かの関係だろう。
看板2。ここには何もないけれど、そこはかとなくアメリカのかほりがするような。
ちょっとしたスナックや日用品を買えるショップはところどころにあった。もちろんアメリカドルを使う(シアトルのときに両替したお金の残り)。カナダドルも使えるらしいけど・・・。
一軒だけあるという大きなスーパーマーケットでもおやつ程度の買い物をした。アメリカの国旗がデカデカと描かれたいかにもという感じのビニールに入れてくれた。これ、記念に取っとこ。
ポイント・ロバーツには、人口に比べてガソリンスタンドの数が多い。カナダよりアメリカの方がガソリンが安いので、カナディアンがよく車で国境越えをしてガソリンを入れに来るらしい。なるほど、だから車だけあんなに列を作って並んでいたのか。なっとく。
スーパーマーケットのあるメインの通りをずっと真っ直ぐ進むと、ヨット・ハーバーに出た。しかし海岸線はまだ先のようだ。詳細な地図を持っていなかった私たちは歩き疲れたので、海まで出ないうちに引き返すことにした。道路は舗装になっているので、レンタサイクルなんかがあれば便利だっただろうなあ。
帰りはカナダ側の国境審査を受ける。行きとは違う建物に入る。なぜか審査官のお兄さんがイケメンで、我々のテンションも上がる。一応、一通りの質問は受ける。
審査官「きみたち、何しにいってきたの?どれくらい滞在してたの?お酒かタバコは買ってきた?」
我々「観光。半日。お菓子買いました。」
審査官「そう?んじゃー通ってOK」
みたいな感じである。
いいのか、そんな適当で。
しかし例によって、韓国人の友人は私より質問の量が多かった。なぜなんだろう?
帰りは、バンクーバー行きのバス1本でOKだった。後で知ったことだが、来るときもあんなに乗り換えする必要はなかったみたいだ。
ま、でも、探検ってことで。
なかなかできる体験じゃないよね。
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3月末から5月初めにかけて通った、NPOでのインターンシップ。そこでほぼ全期間を通して一緒だった、別の語学学校から来たインターンシップ生のドイツ人D君。彼とは一緒にインドア・ロック・クライミングに行った思い出もある。その彼が、帰国することになった。帰国の前にカナダを旅行するというので、旅行に出発する前が、D君に会う最後のタイミングになるかもしれなかった。
7月7日のことである。
というわけで、D君と連れ立って、インターンシップをしたNPOに行くことにする。
↓私が土作りを頑張った、屋上緑化計画のその後。

黒い屋根に陽が当たって高温になる屋上。化学肥料を使わずに、野菜を育てる。
去年は黒い屋根のせいで温度が上がり過ぎてしまい、みな枯れて、失敗したそうだ。
この屋上にはソーラーパネルも設置してあり、それで建物内の電気の何十%かを賄っている。数十年前に設置されたという原始的ソーラーパネル(水を循環させて温め、お湯にして使用する)もある。ソーラーパネル・システムを見学しに、ときどき専門家が訪れる。


収穫された野菜。洗って土を落とし、D君と一緒に生でそのまま食べてみた。
夏の味がした。
D君がダウンタウンからバスに乗るというので、暇だった私はとりあえずついていくことに。ダウンタウンでD君と別れる。D君と今後会うことはあるのだろうか?私がドイツに旅行に行けば、会えるかもしれない。
手持ち無沙汰のまま、歩いて近くのパブリック・ライブラリーへ。ダウンタウンの図書館は、イタリアのコロッセウムみたいな外観の巨大な施設。図書館前の広場で、なんかのバンドが路上ライブをやります、という館内放送がかかった。図書館という、病院の次くらいに静かにすべきところの真ん前で路上ライブやるって・・・・しかも館内放送でそれの案内をかけるって・・・・あまり日本じゃ考えられない気もする。それはいいけど、このバンドの名前だろうか?「ハリーポッター」と聞こえたけど。

やはりバンドの名前は「ハリーポッター」で間違いなかった。結構人気グループなのだろうか?10代の若者を中心として、たくさんの人だかりができていた。
分かりにくいけど、左の写真の中央右寄りに、白いシャツにネクタイをしめた男性ヴォーカリストとギタリストが見える。

ドラマーを激写。何がハリーポッターかと言えば、衣装がホグワーツの制服っぽいということだけなのでは。
最前列にいた白人のコギャル風の女の子たちは、彼らと同じような白いシャツにネクタイをしめて、赤いギンガムチェックのミニスカートを履いていた。
図書館前で路上ライブを繰り広げるバンドを尻目に、散策に出ることにする。図書館から南に歩くと、イエール・タウンに出るはずだ。このままデイビー・ストリートまで歩こう。イエール・タウンは、再開発によってレンガ造りの洒落た建物が立ち並ぶ観光客に人気のスポット。オシャレなレストランやショップがある。

デイビーの手前で、レンガ造りの建物の間に公園を発見。
うーむ、こんな都会のど真ん中に大きな公園があったとは。

花。

石。

水。
かなりくつろげる場所だ。犬を放している人もいる。ベンチでボーッとしたり本を読んだりしている人もいる。ゆったりしているねぇ・・・・。
私もとりあえずベンチでボーッとする。
公園前のバス停にバスが停まったので、とりあえず乗って西に向かうことにする。行き先も決めずに行き当たりばったりでブラブラ散策。

デイビーストリートのバスに乗って西に向かったんだから、当然着いたのは西の外れのイングリッシュ・ベイ。
うららかな夏の日。
・・・人が多い。
さて、そろそろ家に帰るかぁ。
7月7日のことである。
というわけで、D君と連れ立って、インターンシップをしたNPOに行くことにする。
↓私が土作りを頑張った、屋上緑化計画のその後。
去年は黒い屋根のせいで温度が上がり過ぎてしまい、みな枯れて、失敗したそうだ。
この屋上にはソーラーパネルも設置してあり、それで建物内の電気の何十%かを賄っている。数十年前に設置されたという原始的ソーラーパネル(水を循環させて温め、お湯にして使用する)もある。ソーラーパネル・システムを見学しに、ときどき専門家が訪れる。
収穫された野菜。洗って土を落とし、D君と一緒に生でそのまま食べてみた。
夏の味がした。
D君がダウンタウンからバスに乗るというので、暇だった私はとりあえずついていくことに。ダウンタウンでD君と別れる。D君と今後会うことはあるのだろうか?私がドイツに旅行に行けば、会えるかもしれない。
手持ち無沙汰のまま、歩いて近くのパブリック・ライブラリーへ。ダウンタウンの図書館は、イタリアのコロッセウムみたいな外観の巨大な施設。図書館前の広場で、なんかのバンドが路上ライブをやります、という館内放送がかかった。図書館という、病院の次くらいに静かにすべきところの真ん前で路上ライブやるって・・・・しかも館内放送でそれの案内をかけるって・・・・あまり日本じゃ考えられない気もする。それはいいけど、このバンドの名前だろうか?「ハリーポッター」と聞こえたけど。
やはりバンドの名前は「ハリーポッター」で間違いなかった。結構人気グループなのだろうか?10代の若者を中心として、たくさんの人だかりができていた。
分かりにくいけど、左の写真の中央右寄りに、白いシャツにネクタイをしめた男性ヴォーカリストとギタリストが見える。
ドラマーを激写。何がハリーポッターかと言えば、衣装がホグワーツの制服っぽいということだけなのでは。
最前列にいた白人のコギャル風の女の子たちは、彼らと同じような白いシャツにネクタイをしめて、赤いギンガムチェックのミニスカートを履いていた。
図書館前で路上ライブを繰り広げるバンドを尻目に、散策に出ることにする。図書館から南に歩くと、イエール・タウンに出るはずだ。このままデイビー・ストリートまで歩こう。イエール・タウンは、再開発によってレンガ造りの洒落た建物が立ち並ぶ観光客に人気のスポット。オシャレなレストランやショップがある。
デイビーの手前で、レンガ造りの建物の間に公園を発見。
うーむ、こんな都会のど真ん中に大きな公園があったとは。
花。
石。
水。
かなりくつろげる場所だ。犬を放している人もいる。ベンチでボーッとしたり本を読んだりしている人もいる。ゆったりしているねぇ・・・・。
私もとりあえずベンチでボーッとする。
公園前のバス停にバスが停まったので、とりあえず乗って西に向かうことにする。行き先も決めずに行き当たりばったりでブラブラ散策。
デイビーストリートのバスに乗って西に向かったんだから、当然着いたのは西の外れのイングリッシュ・ベイ。
うららかな夏の日。
・・・人が多い。
さて、そろそろ家に帰るかぁ。
7月1日はカナダ・デーであった。
<まめちしき・・・・カナダ・デーとは!>
カナダ建国記念日。法令による。1867年の3つの植民地の自治開始を記念する日。
(ウィキペディアより抜粋)
そのまんまやん。
この日は各地でイベントが催され、バンクーバーでも盛大に建国を祝うのである。
と思いきや、そんなに盛大でもなく、アメリカの独立記念日(7月4日)なんかに比べたらひっそりとしたものだ。カナディアンはなんとなく、アメリカ人に比べるといつもひっそりとしていて奥ゆかしいのである。祝う人もいれば普段通りの生活をする人もいる。といった感じだ。バンクーバーにアジア系移民が多くて、彼らには愛国心も何も存在しないからなのだろうか?
それでも一応(と言っちゃ失礼だが)イベントが存在するようなので、一人で出掛けてみることにする。とはいえ、どこに行けば何をやっているのか皆目見当がつかない。いちばん手頃でガッチリは「グランヴィル・アイランド」かな・・・・?今は夏だし、あそこならきっと誰かは何かやってるだろう。そういえば、7月1日は今年の『バンクーバー・ジャズ・フェスティバル』の最終日でもあった。
こうしてダウンタウンまで出た私。7月1日のマリファナ合法化集会を目撃したのはこういう理由からだったわけで、わざわざそれを見るために出掛けたのではない。
<ひとくちメモ・・・バンクーバー・ジャズ・フェスティバル>
世界中から1000人を超えるミュージシャンたちが集まり、バンクーバーの街中が音楽で溢れかえる、夏の数日間の恒例行事。コミュニティーセンターや本屋さんのフリーペーパー置き場などで、期間中のイベント内容を網羅した無料の案内冊子が手に入る。市内の各地で、公園で、空き地で、音楽ホールで、ジャズ喫茶で、有料のもの無料のもの取り混ぜて音楽会が催されるのだ。
結局、仕事がある平日昼間からの開催が多くて、どこの会場にも行けなかったなぁ・・・。確かグランヴィルアイランドでも音楽イベントを何かやっていたはず。
というわけで、行き先はグランヴィルアイランドに決定。

これが、かの有名な、入り口のゲート。ここを通らなくても中に入れるけど。これはグランヴィルストリート(グランヴィルブリッジ)の真下。ダウンタウンからバンクーバー市内の住宅地へ渡る大きな橋。

うーん、人が集まっているような、普段と同じなような・・・?
もう少し進んでみることにする。

おっ、念願の(?)大道芸人発見。おじさんが長ーい一輪車に乗っている。これに乗るために周囲の観客を巻き込んで手伝わせたり、笑いを取ったり、降りるときに観客をハラハラさせつつ笑わせたり。乗るのを手伝った観客らの腕時計をいつのまにか持ってるなど、手品のようなことも。「これを返してほしくば、降りるのも手伝って~」という流れに持っていくのだ。
エンターテイナーとして、なかなかの手練れである。終了後にみんながチップをあげていたので、私も5ドル札を寄付。かなり楽しめた。
ここで、偶然会社の同僚の女の子とそのお友達(二人とも日本人)に出会い、一緒に回ることにする。


グランヴィルアイランド内の何箇所かで、無料のジャズフェスティバルを開催中。左は建物内、右は屋外の芝生。

お帰りはアクアバスで。対岸まで2分くらいの船旅。
このあと、歩き疲れたので、一緒に回った同僚のお友達の部屋で一服させていただく。ダウンタウンのウエスト・エンドにある、高級住宅街のコンドミニアムである。うらやましい!!
夜の花火まで休憩。
バンクーバーの夏は夜10時くらいまで日が暮れないので、花火大会は夜10時半開始。
どこで開催されるのか情報が錯綜していた。分かりにくい英語のホームページを解読してもなんだかよく分からない。多分カナダ・プレイスあたりだろうと見当をつけ、時間に間に合うように出発。
カナダ・プレイスにはたくさんの人だかりが。多分イングリッシュ・べイのほうでもやっていると思うけど、カナダプレイスでもやるのは間違いないようだ。しかし、どっちの方向を向いていればいいのだろう?カナダ・プレイスの一部は、お金を払ってチケットを買った人やスポンサーなど専用の観覧席が設けられていて、一般人立ち入り禁止になっていた。
適当な位置に腰を下ろす。偶然、良い席だったので、万事OK。

これが花火の写真。建国記念日の祝賀の花火の割には地味である。日本で、夏にうちの隣町で寄付を集めて行う花火大会のほうが派手だし見栄えがする。
待たされた時間の割には早く終了。パラパラ~ッとまばらに上がっただけで、30分弱で終了した。特に大きな盛り上がりもなし。みんなでボーッと見学したのみ。
これで観覧席のチケットにお金を払った人がいるというのがよく理解できない。もしかしてそれはワインやフランス料理のフルコースを、カナダプレイスを借り切って楽しむという贅沢なセレブの行事だったのかもしれない。
少なくとも、この花火に対して対価を支払う必要性は感じられないが、一生に一回記念のつもりで見てみるのは良いだろうと思う。
<まめちしき・・・・カナダ・デーとは!>
カナダ建国記念日。法令による。1867年の3つの植民地の自治開始を記念する日。
(ウィキペディアより抜粋)
そのまんまやん。
この日は各地でイベントが催され、バンクーバーでも盛大に建国を祝うのである。
と思いきや、そんなに盛大でもなく、アメリカの独立記念日(7月4日)なんかに比べたらひっそりとしたものだ。カナディアンはなんとなく、アメリカ人に比べるといつもひっそりとしていて奥ゆかしいのである。祝う人もいれば普段通りの生活をする人もいる。といった感じだ。バンクーバーにアジア系移民が多くて、彼らには愛国心も何も存在しないからなのだろうか?
それでも一応(と言っちゃ失礼だが)イベントが存在するようなので、一人で出掛けてみることにする。とはいえ、どこに行けば何をやっているのか皆目見当がつかない。いちばん手頃でガッチリは「グランヴィル・アイランド」かな・・・・?今は夏だし、あそこならきっと誰かは何かやってるだろう。そういえば、7月1日は今年の『バンクーバー・ジャズ・フェスティバル』の最終日でもあった。
こうしてダウンタウンまで出た私。7月1日のマリファナ合法化集会を目撃したのはこういう理由からだったわけで、わざわざそれを見るために出掛けたのではない。
<ひとくちメモ・・・バンクーバー・ジャズ・フェスティバル>
世界中から1000人を超えるミュージシャンたちが集まり、バンクーバーの街中が音楽で溢れかえる、夏の数日間の恒例行事。コミュニティーセンターや本屋さんのフリーペーパー置き場などで、期間中のイベント内容を網羅した無料の案内冊子が手に入る。市内の各地で、公園で、空き地で、音楽ホールで、ジャズ喫茶で、有料のもの無料のもの取り混ぜて音楽会が催されるのだ。
結局、仕事がある平日昼間からの開催が多くて、どこの会場にも行けなかったなぁ・・・。確かグランヴィルアイランドでも音楽イベントを何かやっていたはず。
というわけで、行き先はグランヴィルアイランドに決定。
これが、かの有名な、入り口のゲート。ここを通らなくても中に入れるけど。これはグランヴィルストリート(グランヴィルブリッジ)の真下。ダウンタウンからバンクーバー市内の住宅地へ渡る大きな橋。
うーん、人が集まっているような、普段と同じなような・・・?
もう少し進んでみることにする。
エンターテイナーとして、なかなかの手練れである。終了後にみんながチップをあげていたので、私も5ドル札を寄付。かなり楽しめた。
ここで、偶然会社の同僚の女の子とそのお友達(二人とも日本人)に出会い、一緒に回ることにする。
グランヴィルアイランド内の何箇所かで、無料のジャズフェスティバルを開催中。左は建物内、右は屋外の芝生。
お帰りはアクアバスで。対岸まで2分くらいの船旅。
このあと、歩き疲れたので、一緒に回った同僚のお友達の部屋で一服させていただく。ダウンタウンのウエスト・エンドにある、高級住宅街のコンドミニアムである。うらやましい!!
夜の花火まで休憩。
バンクーバーの夏は夜10時くらいまで日が暮れないので、花火大会は夜10時半開始。
どこで開催されるのか情報が錯綜していた。分かりにくい英語のホームページを解読してもなんだかよく分からない。多分カナダ・プレイスあたりだろうと見当をつけ、時間に間に合うように出発。
カナダ・プレイスにはたくさんの人だかりが。多分イングリッシュ・べイのほうでもやっていると思うけど、カナダプレイスでもやるのは間違いないようだ。しかし、どっちの方向を向いていればいいのだろう?カナダ・プレイスの一部は、お金を払ってチケットを買った人やスポンサーなど専用の観覧席が設けられていて、一般人立ち入り禁止になっていた。
適当な位置に腰を下ろす。偶然、良い席だったので、万事OK。
これが花火の写真。建国記念日の祝賀の花火の割には地味である。日本で、夏にうちの隣町で寄付を集めて行う花火大会のほうが派手だし見栄えがする。
待たされた時間の割には早く終了。パラパラ~ッとまばらに上がっただけで、30分弱で終了した。特に大きな盛り上がりもなし。みんなでボーッと見学したのみ。
これで観覧席のチケットにお金を払った人がいるというのがよく理解できない。もしかしてそれはワインやフランス料理のフルコースを、カナダプレイスを借り切って楽しむという贅沢なセレブの行事だったのかもしれない。
少なくとも、この花火に対して対価を支払う必要性は感じられないが、一生に一回記念のつもりで見てみるのは良いだろうと思う。
今までたびたび話題にのぼってきた、カナダの中の人民共和国、リッチモンド。
今回は、リッチモンドの裏の顔(?)を解き明かそうという斬新な企画である。
知人にムスリム(イスラム教徒)の人がいたため、リッチモンドモスクを見学に行くことに。例によって私と韓国人の友人は、普通の外国人が訪れないようなマイナーな名所へ行くのである。なんでもない日に行って、手順も知らないお祈りに混ざるわけにはいかないので、(てゆうか私たちムスリムじゃないし、)イベントのある日を選んで行くことにした。
この日は、チルドレンズフェスティバルのようなものをやると聞きつけ、リッチモンドモスクを見学する良い機会だということで、青空の下、スカーフ片手にお出掛けした。(ムスリムの人たちが集まる場所に行く場合、女性はスカーフをかぶっておいたほうが無難。別にちゃんとした宗教的なものでなくてもよくて、なんとなく髪を隠す程度。派手なものでもOKのようだ)
ちなみに私のこんな色のスカーフは、初めてイスラム文化と接触した日に「イスラム・インフォメーション・センター」で無料でいただいたものだ。彼女らは、お祈りに来た(またはお祈りを見学に来た)女性に無料でスカーフをくれるのだ。入信するつもりは特になかったが、せっかくなので一応いただいておいた。その後、イスラム文化に触れるために、いろいろな場面で役立っている。

青空の下、モスクの白い壁が映えている。緑色のドームや木製の中央扉がオシャレ。

上の写真に写っている建物(モスク)の裏手。チルドレンズフェスティバルの会場準備が進められている。意外に小規模?
この場所からもっと奥に進むと、運動場とイスラム学校の校舎がある。
食事の出店もあった。写真は、変わりゴハンと、野菜や豆のトマト煮込みのようなもの。何という種類のコメなのか分からなかったがとにかくおいしい。多分ブラウンライス(玄米)とブラックライスとジャスミンライスが混ざったような感じだと思う。カナダに来て初めてブラックライスなるものを知ったが、プチプチッとした固めの歯ざわりが楽しくて、おいしい。ホームステイでも時々出たなぁ。
この写真の料理は、二人でたっぷり食べられて、一パック500円くらい。
この他に、カキ氷なんかもあった。このときのカキ氷の入れ物について。日本のような感じを想像しているとちょっとびっくりする。日本のアイスクリームのコーンに巻いてあるコーン型の紙を想像してください。そう、あの形をした小さなプラスチック容器に入って、「アイスコーン」っていう名前でカキ氷が売られているのです。
私はイスラム教の人に作ってもらう料理が大好きだ。イスラム教の人と一口に言っても、その出身地はいろいろあると思うけど、なぜかたいていどこでも毎回同じような食材を使った料理が出てくる気がする。知人がいることもあり、イスラム教の施設でよくご飯をごちそうになるのだが、香辛料たっぷりの異国情緒あふれる料理にはいつも感動していた。めっちゃおいしい。
この後、日本の国技がたいへんなことに!!!
まずは、この写真を見てください。
↓↓↓

えっ、これってもしかして・・・・・!?

試合後、脱ぎ捨てられた着ぐるみ。ご丁寧にカツラまである。
これは、興行っぽいアトラクションの一つだったようで、まず幼児用プールの要領で空気を入れたリングを用意する。扇風機の親玉みたいな機械を使って、轟音をたてながら常に空気を入れ続ける必要がある。リングの周囲で、トランポリンのように子供たちが乗っかって跳ね回るので。進行役兼審判の若いお兄ちゃんが、希望者の中から試合出場者を2名選んで、着ぐるみを着せる。子供たちは着ぐるみを着ると満足に動くことすらできないので、よろけながら相手に体当たりして、先に地に着いたほうが負けのようである。暇だったので、韓国人の友人と一緒にしばらく見ていたが、かなり笑える。
これを見ている子供たちのうち、一体何人が、これは東洋の島国・日本というところの国技であって、長い歴史を持つ相撲というスポーツなんだということを理解しているのだろうか?スモウ・レスラーズの体は、脂肪ではなく筋肉なのだと、世界最強と言われる格闘家は力士なのだと、土俵には女は上ってはいけないのだと、今後の人生でこの子らが知る機会はあるのだろうか?
答えは、考えるまでもない。
まわしは、赤コーナー・青コーナーを色で示し分けるためだけのベルトで、カツラは頭を守るヘルメットで、勝ち手は押し出ししかないと思っているに違いない。最近の日本の大相撲はモンゴル人やらヨーロッパ人やらに乗っ取られつつあるが、それどころではない危機を垣間見た気がした。
とはいえ、ぶっちゃけ面白かったんだけどね、これ☆

モスクの入り口上部。アラビア語が書いてある。韓国人の友人のクラスメートにサウジアラビアから来たムスリムの男の子がいるので、ここに何て書いてあるか聞いてもらった。これはクルアーンの一節で、「アッラーは偉大なり」「ムハンマドは神の使徒なり」といったことが書いてあるそうだ。うーん、予想通り!
食べるものも食べたし、モスクも見たし、子供たちの遊びも見学したし、お祈りに参加する必要はないし・・・・ということで、ここらで撤退することにした。
ここはリッチモンドと言っても外れの方なので、帰りのバスが来るまで1時間以上待った。バス停で知らないムスリムの女性と一緒になったが、韓国人の友人がしばらく世間話をした後、「あなたの人生の目標はなんですか?」などという突っ込んだ質問をし始めて、焦った。私は彼女らの会話にほとんど参加してなくて、眠くて横でボーッとしていたのだが、その質問で目が覚めた。そのムスリムの女性は母国語であるアラビア語やカナダの英語の他、ロシア語もしゃべれる、ロシアとアメリカに住んでいたこともある、とのことだったのだが、「目標って?何のこと?」というような調子で全然会話が成り立っていなかった。後で韓国人の友人が、「あの人、難しい英単語知らないみたい。だって私が“目標=purpose”とか、他の難しい単語を出すとわけが分からなくなるみたいなんだもの」とこっそり言っていた。いやぁ、そうか?ずいぶん流暢に英語をしゃべっていたし、特にそんな感じはしなかったけどなぁ。よくわからなかった。
以前もチラッと書いたことがあるが、リッチモンド北部にあるショッピングモールに初めて立ち寄ったのはこのときだ。ダイソーや日本の本屋さんが入っている。


うわあい、恐竜だ~。
恐竜と化石大好きっ子の私が我慢できるはずもない。急激にテンションが上がる。1マス進む。
ここで、はしゃぎまくる。2回休み。
大学時代の部活仲間の人たちは分かると思うけど、あの自然史博物館に行ったときの私を思い起こしてみてほしい。ここでもだいたいそんな感じである。つまり全然成長していないのである。


うわあい恐竜恐竜~。化石化石~。
3回休み。
やっとのことで恐竜ゾーンを抜け出し、ダイソーにやってきた。商品は2ドル=200円。
それでも日本のお菓子を手に入れてホクホク。
このとき買ったのは、カラフルなお好みかりんとう、香ばしい胡麻かりんとう、柚子&すだちキャンディ(こんなの日本でも見たことない)、それにサクマドロップスである。
かなりレトロなチョイスと相成りました。

さて、リッチモンドを抜け出して、バンクーバーに戻って参りました。Bラインのバスでそのままカナダ・プレイスまでやってきました。ウォーターフロントステーションの近くです。
今日も青空がキレイ。

今日もハーバーで停泊中の船を発見。
確か、日本の旗を掲げた日本の船だったような、気がする。
これにて今回のリッチモンド探検、終了~。
今回は、リッチモンドの裏の顔(?)を解き明かそうという斬新な企画である。
知人にムスリム(イスラム教徒)の人がいたため、リッチモンドモスクを見学に行くことに。例によって私と韓国人の友人は、普通の外国人が訪れないようなマイナーな名所へ行くのである。なんでもない日に行って、手順も知らないお祈りに混ざるわけにはいかないので、(てゆうか私たちムスリムじゃないし、)イベントのある日を選んで行くことにした。
この日は、チルドレンズフェスティバルのようなものをやると聞きつけ、リッチモンドモスクを見学する良い機会だということで、青空の下、スカーフ片手にお出掛けした。(ムスリムの人たちが集まる場所に行く場合、女性はスカーフをかぶっておいたほうが無難。別にちゃんとした宗教的なものでなくてもよくて、なんとなく髪を隠す程度。派手なものでもOKのようだ)
ちなみに私のこんな色のスカーフは、初めてイスラム文化と接触した日に「イスラム・インフォメーション・センター」で無料でいただいたものだ。彼女らは、お祈りに来た(またはお祈りを見学に来た)女性に無料でスカーフをくれるのだ。入信するつもりは特になかったが、せっかくなので一応いただいておいた。その後、イスラム文化に触れるために、いろいろな場面で役立っている。
青空の下、モスクの白い壁が映えている。緑色のドームや木製の中央扉がオシャレ。
上の写真に写っている建物(モスク)の裏手。チルドレンズフェスティバルの会場準備が進められている。意外に小規模?
この場所からもっと奥に進むと、運動場とイスラム学校の校舎がある。
この写真の料理は、二人でたっぷり食べられて、一パック500円くらい。
この他に、カキ氷なんかもあった。このときのカキ氷の入れ物について。日本のような感じを想像しているとちょっとびっくりする。日本のアイスクリームのコーンに巻いてあるコーン型の紙を想像してください。そう、あの形をした小さなプラスチック容器に入って、「アイスコーン」っていう名前でカキ氷が売られているのです。
私はイスラム教の人に作ってもらう料理が大好きだ。イスラム教の人と一口に言っても、その出身地はいろいろあると思うけど、なぜかたいていどこでも毎回同じような食材を使った料理が出てくる気がする。知人がいることもあり、イスラム教の施設でよくご飯をごちそうになるのだが、香辛料たっぷりの異国情緒あふれる料理にはいつも感動していた。めっちゃおいしい。
この後、日本の国技がたいへんなことに!!!
まずは、この写真を見てください。
↓↓↓
えっ、これってもしかして・・・・・!?
試合後、脱ぎ捨てられた着ぐるみ。ご丁寧にカツラまである。
これは、興行っぽいアトラクションの一つだったようで、まず幼児用プールの要領で空気を入れたリングを用意する。扇風機の親玉みたいな機械を使って、轟音をたてながら常に空気を入れ続ける必要がある。リングの周囲で、トランポリンのように子供たちが乗っかって跳ね回るので。進行役兼審判の若いお兄ちゃんが、希望者の中から試合出場者を2名選んで、着ぐるみを着せる。子供たちは着ぐるみを着ると満足に動くことすらできないので、よろけながら相手に体当たりして、先に地に着いたほうが負けのようである。暇だったので、韓国人の友人と一緒にしばらく見ていたが、かなり笑える。
これを見ている子供たちのうち、一体何人が、これは東洋の島国・日本というところの国技であって、長い歴史を持つ相撲というスポーツなんだということを理解しているのだろうか?スモウ・レスラーズの体は、脂肪ではなく筋肉なのだと、世界最強と言われる格闘家は力士なのだと、土俵には女は上ってはいけないのだと、今後の人生でこの子らが知る機会はあるのだろうか?
答えは、考えるまでもない。
まわしは、赤コーナー・青コーナーを色で示し分けるためだけのベルトで、カツラは頭を守るヘルメットで、勝ち手は押し出ししかないと思っているに違いない。最近の日本の大相撲はモンゴル人やらヨーロッパ人やらに乗っ取られつつあるが、それどころではない危機を垣間見た気がした。
とはいえ、ぶっちゃけ面白かったんだけどね、これ☆
モスクの入り口上部。アラビア語が書いてある。韓国人の友人のクラスメートにサウジアラビアから来たムスリムの男の子がいるので、ここに何て書いてあるか聞いてもらった。これはクルアーンの一節で、「アッラーは偉大なり」「ムハンマドは神の使徒なり」といったことが書いてあるそうだ。うーん、予想通り!
食べるものも食べたし、モスクも見たし、子供たちの遊びも見学したし、お祈りに参加する必要はないし・・・・ということで、ここらで撤退することにした。
ここはリッチモンドと言っても外れの方なので、帰りのバスが来るまで1時間以上待った。バス停で知らないムスリムの女性と一緒になったが、韓国人の友人がしばらく世間話をした後、「あなたの人生の目標はなんですか?」などという突っ込んだ質問をし始めて、焦った。私は彼女らの会話にほとんど参加してなくて、眠くて横でボーッとしていたのだが、その質問で目が覚めた。そのムスリムの女性は母国語であるアラビア語やカナダの英語の他、ロシア語もしゃべれる、ロシアとアメリカに住んでいたこともある、とのことだったのだが、「目標って?何のこと?」というような調子で全然会話が成り立っていなかった。後で韓国人の友人が、「あの人、難しい英単語知らないみたい。だって私が“目標=purpose”とか、他の難しい単語を出すとわけが分からなくなるみたいなんだもの」とこっそり言っていた。いやぁ、そうか?ずいぶん流暢に英語をしゃべっていたし、特にそんな感じはしなかったけどなぁ。よくわからなかった。
以前もチラッと書いたことがあるが、リッチモンド北部にあるショッピングモールに初めて立ち寄ったのはこのときだ。ダイソーや日本の本屋さんが入っている。
うわあい、恐竜だ~。
恐竜と化石大好きっ子の私が我慢できるはずもない。急激にテンションが上がる。1マス進む。
ここで、はしゃぎまくる。2回休み。
大学時代の部活仲間の人たちは分かると思うけど、あの自然史博物館に行ったときの私を思い起こしてみてほしい。ここでもだいたいそんな感じである。つまり全然成長していないのである。
うわあい恐竜恐竜~。化石化石~。
3回休み。
やっとのことで恐竜ゾーンを抜け出し、ダイソーにやってきた。商品は2ドル=200円。
このとき買ったのは、カラフルなお好みかりんとう、香ばしい胡麻かりんとう、柚子&すだちキャンディ(こんなの日本でも見たことない)、それにサクマドロップスである。
かなりレトロなチョイスと相成りました。
さて、リッチモンドを抜け出して、バンクーバーに戻って参りました。Bラインのバスでそのままカナダ・プレイスまでやってきました。ウォーターフロントステーションの近くです。
今日も青空がキレイ。
今日もハーバーで停泊中の船を発見。
確か、日本の旗を掲げた日本の船だったような、気がする。
これにて今回のリッチモンド探検、終了~。
カナディアンの知人に聞いた話である。
その人は昔、首都のオタワに住んでいたこともあるので東側の事情には詳しいのだが、その人が言うには、「バンクーバーのダウンタウンの高層ビル群はほとんどがコンドミニアム(長期滞在者用宿泊施設)。オタワやトロントの高層ビル群はビジネス街。」だそうだ。
なるほど、的を射ている。カナダに来てまだ数ヶ月の私も、そうじゃないかなとは思っていた。
ご存知の通り、バンクーバーはカナダの西端、太平洋側に位置する。夏は暑くなく、冬でも温暖快適。一方、首都であるオタワ、カナダ第一の都市であるトロント、フランス語圏であるモントリオールなどは東側に位置し、冬はマイナス数十度の厳しい寒さや大雪に見舞われる。
首都があることからも分かるように、カナダの政治、経済、ビジネスの中心は東側だ。
バンクーバーは、アジアに比較的近いこともあり、アジアからの移民が特に多く、住宅の需要も高い。
そんな理由で、トロントの高層ビル群にはオフィスが一杯詰まっており、バンクーバーダウンタウンの住宅事情は安泰。ということが起こるわけだ。
私はまだ東側には一度も行ったことがないが、トロントに行けばワーホリメーカーでもカナダの一般企業で働くチャンスを得られることが多いという。何しろ、少なくともバンクーバーよりは、ビジネスの“供給”が多いのであるから。もちろんそれなりの英語力を持った人は、ということだけれど。
東側は首都オタワがあるので、政府系の機関が多く、それに伴ってビジネスも発達するのだろう。
カナダの地図を見ていただければ分かるが、東端と西端の間の距離は、バンクーバーから太平洋を渡って日本まで到達するのと変わらないくらい長い。そんな地理状況なんじゃ、バンクーバーで首都圏のビジネスの恩恵を得ることが難しいのは当然だ。
今後何年かで状況が劇的に変化するという可能性もないではないが、カナダにワーホリを計画している人はこの点を少し気にとめておいたほうがよろしかろうと思う。
その人は昔、首都のオタワに住んでいたこともあるので東側の事情には詳しいのだが、その人が言うには、「バンクーバーのダウンタウンの高層ビル群はほとんどがコンドミニアム(長期滞在者用宿泊施設)。オタワやトロントの高層ビル群はビジネス街。」だそうだ。
なるほど、的を射ている。カナダに来てまだ数ヶ月の私も、そうじゃないかなとは思っていた。
ご存知の通り、バンクーバーはカナダの西端、太平洋側に位置する。夏は暑くなく、冬でも温暖快適。一方、首都であるオタワ、カナダ第一の都市であるトロント、フランス語圏であるモントリオールなどは東側に位置し、冬はマイナス数十度の厳しい寒さや大雪に見舞われる。
首都があることからも分かるように、カナダの政治、経済、ビジネスの中心は東側だ。
バンクーバーは、アジアに比較的近いこともあり、アジアからの移民が特に多く、住宅の需要も高い。
そんな理由で、トロントの高層ビル群にはオフィスが一杯詰まっており、バンクーバーダウンタウンの住宅事情は安泰。ということが起こるわけだ。
私はまだ東側には一度も行ったことがないが、トロントに行けばワーホリメーカーでもカナダの一般企業で働くチャンスを得られることが多いという。何しろ、少なくともバンクーバーよりは、ビジネスの“供給”が多いのであるから。もちろんそれなりの英語力を持った人は、ということだけれど。
東側は首都オタワがあるので、政府系の機関が多く、それに伴ってビジネスも発達するのだろう。
カナダの地図を見ていただければ分かるが、東端と西端の間の距離は、バンクーバーから太平洋を渡って日本まで到達するのと変わらないくらい長い。そんな地理状況なんじゃ、バンクーバーで首都圏のビジネスの恩恵を得ることが難しいのは当然だ。
今後何年かで状況が劇的に変化するという可能性もないではないが、カナダにワーホリを計画している人はこの点を少し気にとめておいたほうがよろしかろうと思う。