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ここカナダでも、当日は思い思いの格好をして街に繰り出す人が多い。
社交ダンスの教室がある日だったので、私も少しそれっぽい恰好をしていってみた。
こ~んなかぶりもの(おもちゃのカチューシャだけど)
をしてみたり・・・。
このカチューシャ、職場近くのショッピングモールに行ってみたらハロウィーングッズコーナーがあったので、そこで探した。そんなに高くなかった。子供用だったのでかぶれるか心配で、店員さんに聞いてみたら、「どんな子が使うの?」と聞かれ、「私です・・・・」と言ったら微妙に苦笑された(笑)
私の服。こんな感じ。黒のシャツに黒のタイトスカート、
ドクロマーク(海賊旗にかかれてるような)の赤黒ネクタイ。
普段使いできる服にしようと思い、現地のGAPで揃えた。
ダンス教室の仲間は仮面をかぶっていました。
別の仲間。セパレート!!
この格好でダンス教室を終えた後、先生や数人の仲間と一緒にダウンタウンへ。
けっこういろんな恰好をしている人たちがいた。
ダウンタウンの、すごいカナディアンな感じのするバーで飲み会。
やはり、現地の人と知り合える場(街のダンス教室等)に参加していて正解だった。そうでなければこのようなことを経験する機会もなかなかなかっただろうからね。
楽しかったです☆
<いきなりあらすじ>私たちは大学のとき、よく友達の誕生日に誕生会を開いていた。思えば大学1年の学生宿舎生活時代、でっかく超と書いたケーキを作ってお誕生バー(お誕生日の本人)の部屋に持っていく途中、お掃除のおばちゃんに「お誕生会?いいわねぇ~」と言われた(けっこう恥ずかしい)ことがきっかけだったのかもしれない。その後、誕生会を開くときはお誕生バーに内緒で事前に集合してケーキを作っておくというのがお約束になっていた。ケーキは、そのときのノリでテーマを決めたり、手に入った材料で創意工夫(?)したりするのだ。今回は、そんなケーキたちの物語である・・・・。(←大げさ)
<本編>
昔の写真を整理していたら、なぜかケーキの写真がいっぱい出てきたので、一部をここに紹介する。
クリーチャーケーキ。
←これ。
creature (クリーチャー)
【名-1】 生き物、創造物{そうぞうぶつ}、神が創造{そうぞう}した生き物、動物{どうぶつ}
・・・・我々の当初のコンセプトとして、「秋だから、生地に抹茶を練り込んで抹茶ケーキにしよう!」という壮大な計画があったはずだ。(よく見ると生地は抹茶色)
それがいつのまにやら、神が創造し給うた生き物に。
いやいや、まともなケーキも作ってたんですよ。
たとえば、これ。↓
生クリームでデコレーションした上、ピンクのチョコペンで 2004 Happy Birthday と書いてあります。
うん。かわいい。まとも。
こんなのも。
そのときのファイル名によると、これは後輩K嬢の作。とするとこれは、もしかしたらお誕生ケーキではなかったかもしれない。何かの祝いケーキ。
デザインも飾りつけも、今までにないくらい可愛いのだが、一緒に写っている柿の種が飲み会っぽさをそこはかとなく演出している。結局いつも最後の詰めが甘いということで。
関係ないけど、今、柿の種と打とうとしたら、「かきのため」と打って変換キーを押してしまい、下記のためと変換されてしまった。染みついてしまった仕事の言葉を感じた瞬間。同じ言葉を何千回と打ってきたからなぁ。
高校時代の英語の恩師M山先生から、今度は封書が届いた。定形の長形4号の白封筒に達筆の筆文字。
さっそく開いてみる。そういえば、2枚目の年賀状にまだ返事出してなかったなぁ・・・・。
手紙1枚目冒頭:
『1. 胃散を1年分持参のこと。』 (下線原文通り)
胃散!?
・・・・・・胃散ってなんだっけ!?
もしかして飲み会明けの二日酔いのお父さん方が飲んでるあれですか?(O田胃散商品ホームページ: http://www.ohta-isan.co.jp/01product/index.html)
時候の挨拶とか宛名とかは無しですか!?
<中略>
第7条 服装 少し派手に。 アメリカの場合
はで!?派手って・・・!?アメリカとカナダは一緒ですか?一緒じゃないんですか??
こんな感じで、面白ためになるアドバイスが9か条書いてありました。前出の、昭和48年、58年にアメリカで研修や旅行をした際の体験談を交えて、便箋4枚につづられた、「北米」(カナダとアメリカは違う国です先生・・・)での海外生活における助言9か条。
高校を卒業して何年も経つのに、2枚目の年賀状のみならず封書まで送ってくださった。
本当にありがたいことです。
1年分の胃散は持っていかないかもしれないけれど、服装は派手(第7条)めに、「他の家庭に晩めしに招かれたとき紙風船等持参(第2条)」することに、しようかな。
紙風船、買っていこう。
今年は、海外移住ということもあり、高校時代の先生方にけっこう年賀状を出した。投函が遅くなってしまったので(確か12月28日くらいに出した)、元旦には着かないことになってしまった。
そして迎えた元旦。喪中ハガキを出した去年を除き、毎年欠かさず年賀状をやり取りしている英語のM山先生から、届いていた(先生は、今は定年退職なさっていると思う)。ちなみにM山先生との(一風変わった)エピソードはけっこうある。テストの答案に達筆でメッセージが書いてあったのだが、あるとき、達筆すぎて読めなくて、担任のE後先生(数学担当)に読んでもらったことがある(そのメッセージは「才媛よ!」だった。才媛という日本語を私はそのとき初めて知った)。また、英語の定期テストでクラス最高点を取ったとき、新品のボールペンをくれた。しかもそれを渡すとき、一番前の席にいた私へ、壇上からホイッと投げて。このボールペンはたぶん高級ボールペンだと思う。見た目が高級。回すと黒と赤の2色が使える。実は今、手帳に挟んで毎日愛用している。
←これがその高級ペン
エピソードはまだある。あるとき、名作を読むことに凝っていて、仙台駅前にある本屋(今はなきアイ○書店)へ、ハーマン・メルヴィル著『白鯨』(岩波文庫、上・中・下巻)を買いに行った。上・中・下巻と3冊を買わなければならないというのは、岩波文庫とはいえ、高校時代のお小遣いでは結構大きい額で、私にしては決断だった。そのとき駅前でばったりM山先生に会い、メルヴィルの白鯨(上・中・下巻)を買いに行くところなんですと言ったところ、「それは是非読みなさい」ということで300円をくれた。300円というのはたぶんそのときお財布に入っていた小銭の全額だったのではと思う。
そういうわけでけっこうお世話になっていたので、M山先生には卒業後も年賀状を出すことにした。そしたら毎年必ず返事をくれるので、こちらも毎年書くようになっていた。
元旦に届いたM山先生の年賀状には、「進む先は決まりましたか?」と、一言、メッセージが書いてあった。私が今まで、“留学したい、海外に行きたい”とずっと言っていたので、M山先生はいつも気にかけてくれているのだ。今年私が書いた年賀状には全て「ワーキングホリデーでカナダに1年間行ってきます」という文と、必要に応じてホットメールのアドレスを書いている。なので必要な情報はそれで伝わるはずだし、元旦に届かないにしても数日中には届くだろうから、あぁ入れ違いになっちゃったな。と思っていた。
そしたら、昨日(4日)。M山先生から2枚目の年賀状が届いていた。
印刷は同じ図柄。メッセージが1枚目よりかなり多くて、昭和48年に60日間かけてアメリカ大陸横断(アンカレッジ-ニューヨーク-サンフランシスコ)をしたこと、昭和58年にイリノイオハイオ州立大学へ文部省(当時)派遣で研修に行ったこと、また、「現地ではたのしいことばかりではない。」「強い心でがんばってください」と書いてあった。なお、「イリノイ」の訂正線と「現地では・・・」の下線は原文通り。研修先の大学名を書き損じた理由は不明だが昭和58年と言えば私が3歳だから、24年前になる。だからかな。その辺がM山先生らしい気もする。アイオワ、イリノイ、オハイオあたりの米中北部はアメリカ人ですらよく間違えるというし。
私の少ない人生経験から言っても、同じ年に年賀状を2枚もらったのは初めてだ。そんなことも、M山先生らしいと言えば、らしい。普通ハガキでなくわざわざ年賀ハガキに書いてくださるあたりも。
なんだか、いろんな意味で心にしみたので、今日ここに記してみました。
「現地ではたのしいことばかりではない。」
もちろん昭和48年・58年に比べれば今は断然住みやすくなっているだろうけれど、やはりこの言葉は覚えておくべきだろうと思う。
出発前に、お返事書こう。
渡航後にエアメールでもいいかもしれない。